信仰の再出発をいたしましょう。
わたしはまことのぶどうの木。
あなたがたはその枝である。
わたしにつながっていなさい。
わたしもあなたがたにつながっている。
ヨハネ福音書15章より
このページをお開きくださったあなた様は、もしかしたら昔、この教会に、あるいは、どこかの教会に通っていらっしゃったのではありませんか。
若き日に、あの日、あの時に、あなたは洗礼を受け、クリスチャンになった。あるいは、足しげく教会に通った。でも、様々な事情で教会から離れてることになってしまった。
その当時、あなたにどのようなご事情やお気持ちがあったのかは測りかねますが、教会生活を離れてしまったお気持ち、お察しいたします。忙しかったのでしょう。私生活が充実していたのかもしれない。あるいは反対に、悩み深かったのかもしれない。教会に失望したのかもしれない。いろんな、一言では片付かない思いがあったのだと拝察します。神だけがご存じです。
あれから、しばらくの月日が経ちましたね。
もしかしたら、もう一度教会に、礼拝に出かけたい。そう思っていらっしゃるかもしれません。
あなたがそう思っていなくても、心の中にはきっと、あの時あなたをとらえ、すくい上げ、そして慰めた、あの希望にあこがれている渇きが、あるのではないか…。
もし、あなた様の心の中に、ほんの少しでもそんな思いのかけらがおありでしたら、どうかそれを大切にしていただきたいのです。その思いから目をそむけていただきたくないのです。
どうか、安心して帰ってきてください。過ぎたことなどもういいのです。身の上の詮索などしません。仰々しいご挨拶も、互いにご無沙汰を詫びる言葉も、神の前では不要です。ただ神だけがすべてを知り、すべてを受けとめ、すべてをゆるしてくださっているーそれだけでよいのです。
どんな顔をして行けばいいのだろう・・・と思うお気持ち、少し躊躇するお気持ちは本当によく分かります。一度足が遠のくと、なかなか来づらくなるんですよね。それに、行こうかどうしようか、今日にしようか、来週にしようか、迷うお気持ちもよく分かります。
でも、迷っているのはあなたであって、
神は一切、迷ってなどおられません。
この神に信頼して、新しい人生をはじめませんか。もう一度。
さあ、少し深呼吸して、もう一度はじめましょう。
「天にまします我らの父よ」と祈ることができる慰めに帰りましょう。
あなたは再び新しく生まれるのです。
今このページを開いて、ここまで読み進めてこられたあなたに、確信に満ちて伝えます。
「あなたの救いは、やっぱり、ここにあります。」